・・・個を過度に崇拝するスタイルを持つ社会では、話が変わってくる。
■ 縦しんば、
ひと握りの賢者たるきつねが居たとして、それは総数から診れば 圧倒的なマイノリティである。
それら自身が、能力の証明欲に取りつかれれば、権力者に取り入り、簡単にタヌキに成り下がる。 |
■ そうした者の存在は、
崇拝対象を傀儡とし 立場を維持していただけの連中の、補助的な役割を果たすに小さくない。
連中は権力を握る為、その能力を翳める様に利用し台頭する。 |
■ その下で、
多くの一般庶民は、崇拝の洗脳により愚者と化す。
見る目を失い、現代工場の生産設備と変わらない程度の愚民となる。
この層は無知無思考な為 極めて従順だ、支配層にとって御しやすく、利用も容易だ。 |
あの大戦は、そうした背景で正当化され、始まっているのだ。
■ そうして
権力を強めた側は、従わない賢者を弾圧排除し始める・・・
この後の流れで 有能な賢者のウチ 権力と対峙した者は全て、勝ち目の無い最前線に送られ犬死にさせられた。 |
それこそが、先の大戦末期の現実だ。
★ また、
この支配の構図自体は今も、そう大きくは変わっていない。
◆ 何故なら、
戦後日本は、支配層と迎合した自称賢者、燃えカスの様に残った愚民で構築された泥船のような造り |
の社会であるからだ。
その流れで人間が増えてきた、無知無能な無思考者が増殖したトコロで不思議は無い、むしろ然もアリである。 |
★ 最後に、
日本には、思考しないコトを是とする宗教が存在し、大きな勢力を構成している現実がある。
当然だが、思考しない者は "自ら情報を得る行為" を伴う事は 一切無い。
件の「機械に弱い」のは、無知無思考の証でしかないのだ。
歳寄りと呼ばれる世代や女性 に "思考させない事で利益を得る者"・・・ もう云わずもか だと思うが? |
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